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suzukan01ブログ

There is no accounting for taste

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1月6日(木)日本経済新聞朝刊の”Analysis”に、表題の記事が掲載されています。一部引用の上、記事内容に沿ってコメントします。

コロナ禍の下で多くの国が一時国境を閉ざし、人材の流動化にブレーキがかかった。感染者数の少なさに照らせば、留学生の入国を長期間阻むなど、日本の対応は「鎖国」に近い。グローバルに展開する人材獲得競争の中で、コロナ後の日本は人材の高度化・多様化を進められるのか。

記事冒頭の文章です。筆者はオックスフォード大学教授の方です(日本人でオックスフォード大教授とはすごいですね)。以下が3つに要約されたポイントです。

○日本は高学歴化でも労働生産性上昇せず

○人的資本市場の閉鎖性が非正規にも影響

○自国内に安住せず人材の異質性を高めよ

国際的にみると、日本は労働生産性及び実質賃金が停滞していると批判されています。労働市場とは本来”交換の場”であり、高学歴化により人的資本の価値が高まれば、労働生産性を高め、その対価である賃金上昇に結び付くはずですが、そうなってはいないのが現実とのことです。

その一つの答えとしては、非正規雇用の拡大があげられます。知識や能力といった人的資本の価値を活かしきれないので、低い生産性にとどまるというものです。ただし、正規職でも人的資本の高学歴者のストックは大きく増大しています。ちなみに、OECDが過去行った国際的調査によると、日本人成人は数的思考力も読解力も1位だそうですから、日本社会の人的資本は高いということですね。もっと自信を持ちましょう。

問題は、人的資本市場を巡るグローバルな展開にある、ということです。一般的に多くのグローバル企業では、内部昇進にこだわらず、外部から質の高い人材を引き付け、それに見合う賃金、処遇を提供します。ところが、国境や言語、日本的慣行の壁に守られた人的資本市場はグローバル化に閉じてきました。新卒一括採用主義では、大学入学者市場と新卒就職市場への参入者はほぼ日本人に限られます。大学では、入試での成功と交換されるのは質の高い教育とは限らず、大学の威信や地位といったシンボリックな財(象徴財)となります。この象徴財が卒業後の就職市場で有利に働きます。

このような市場における交換と競争の結果は、人的資本の価値を高める循環とはなりません。なぜなら第一に市場への参入が閉ざされており、次に市場での交換が大学や企業の「格」といった象徴財になり、新卒就職市場で勝ち抜いた「正社員」が属する内部労働市場では、能力発揮の機会の獲得も年数をかけて行われ、組織への同調は必須であり、よって外部からの参入者が競争を脅かすことも、報酬格差が生じることもなく、しいて言えば競争相手は「同期」入社となるのが現状の日本社会だからです。

「異質」が排除され、同質的な集団内での「差異」を独特の人事考課等で行ってきた日本企業ですが、良し悪しはともかく、その制度自体は日本人の多くは肌感覚で分かっています。しかし海外からの高度人材には理解しがたいのも事実でしょう。市場の閉鎖性・同質性という日本社会の特徴は、高度成長時代にはそれなりに機能したかもしれません。しかし、今や、人的資本の「質」と相関する賃金や能力発揮の機会というように、絶対的な価値の増大・獲得競争こそがこれから求められています。

結論として、ジェンダーや年齢、国籍を含め、異質性を高める人的資本市場の多様化を図るしかない、と言います。最後に記事末尾を引用します。

異質性を嫌い、自国内の安心と一部の人々の安定を優先する「鎖国」意識にとらわれてはなし得ない、コロナ後の日本の課題である。

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